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2007.05.15

小ネタ:オーマイから消えた記事?「クローズアップ秘話?町井久之という男(前編)」

クローズアップ秘話?町井久之という男(前編)
やくざが描いた夢の跡      永原 一子(2007-05-12 21:05)


<以下引用>
 (略)

町井久之の本名は、鄭建永(チョングォンヨン)という。1924(大正13)年東京に生まれ、2002(平成14)年9月に79歳で生涯を閉じた。

 町井久之の波乱に満ちた人生は、昭和の激動と共にあったといっていいだろう。

 町井は、幼児期は、朝鮮で小学校を卒業するまで祖母と暮らした。小学校を卒業して、父親と父の再婚相手の元で育った。まま母との生活は辛いものだったらしい。

 町井が、18歳のときに大東亜戦争勃発。戦後誕生した闇市で、22歳の町井は、闇商売に手を染め仲間と愚連隊を形成する。その後、反共運動のために「東声会」を組織する。

 当時、保守政権に強い影響力を持つ児玉誉士夫の盟友として、岸信介、川島正二郎、大野伴睦らと親睦を深めた。その一方、銀座、赤坂を縄張りとする「東声会」は、武闘派として恐れられるが、1965年に解散する。

 解散後、町井自身は事業家として生きる道を選び、自分が退いた後、子分たちがカタギで生きられるよう1億円を投じて「東亜友愛事業組合」を結成する。だが、昨日までヤクザで飯を食っていた人間が、いきなりカタギで身を立てられるわけでもない。強固な意志でヤクザ稼業を貫く者もいれば、カタギで身を立てようと思いながらも、ヤクザの道に引き返す者もいた。「東亜友愛事業組合」は、ヤクザ色が濃くなってしまう。

 そこで1967年、町井は児玉誉士夫を会長に据え、「東亜相互企業」を旗揚げする。カタギになっていた「東声会」残党の数人は、「東亜相互企業」の社員になった。町井の線引きは厳しく、ヤクザ色の濃い「東亜友愛事業組合」の面々には「東亜相互企業」への出入りを固く禁じた。一般に言われるように「東亜友愛事業組合」が「東亜相互企業」の前身ということはない。2つの組織は渡世とカタギにはっきりと峻別されている。


 (略)
<以上引用>
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Posted at 05/15 | 雑談 | COM(0) | TB(0) |