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2006.08.03

大橋巨泉「内遊外歓」 ?ボクが憲法改正に反対なのは、短かい人生の中で、価値観の転換は二度できないからだ?

誰も触れていないようなので、何か可哀想になってきたので書いておく。

大橋巨泉「内遊外歓」

第583回 アナログを使う“自由”はない消費者万能時代 より


 3月26(日)

 昨日渡された書類の束の中に、本誌の片寄太一郎君がコピーしてくれた「SAPIO」の記事が入っていた。井沢元彦氏の「逆説の靖国問題」という緊急寄稿で、トップに“拝啓大橋巨泉様”とあるので、一番に読ませていただいた。

 このコラムで1ヵ月半程前に書いた「『次の総理は靖国参拝しない人』キャンペーン」に対する反論である。その論旨は靖国参拝の是非でなく、中国は共産党一党独裁で人民を苦しめ続けている悪政国家だから、その手先となって「参拝」反対を唱えるのはやめろ、という事のようだ。ボクは共産主義者ではないし、資本主義の申し子のような経歴の人間である事は、周知の事実である(但し新自由主義経済は格差社会をつくるから、社会主義的セーフティーネットを設けろとは言っている)。ましてや中国の「手先」である筈がない。

中国がお嫌いな井沢元彦氏へ

 しかしだからと言って、氏のように中国敵視で固まって、何の国益があるというのか。先週書いたが、日本より米国一辺倒の豪州のダウナー外相のように「我々は中国封じ込め政策には反対する」というのが、現実の外交というものであろう。トヨタやソニーのような目本の代表的企業が中国に工場をもち、両国の間には大きな経済関係が確立している。そして中国やインドが、21世紀における巨大マーケットであることは、衆目の一致しているところだ。氏が共産中国が気に入らないのは解るが、それは中国の人々が決めることで、外国人が口をはさむのはそれこそ「内政干渉」以外の何物でもない。

 氏は余程中国がお嫌いのようだが、靖国問題が「中韓だけ」ではないことは、ボクは直接この耳で聞いている。カナダ、アメリカ、オセアニアの友人達は、口をそろえて「A級戦犯分祀も出来ない日本の不思議」を口にする。氏は中国の庶民は、靖国神社の存在すら知らない、と言うがそれはウソである。ボクのOKギフトには何人も中国人社員が居るし、ニュージーでボクのマッサージをしてくれる人も北京生れである。彼らは共産党員ではない。ただ遠慮勝ちに「参拝しない方が良い」「もっと日中は仲良く出来ないものか」と言うだけである。

 井沢さん、もう一度ボクの文を読んで下さい。一般人が参拝するのは構わない。首相や大臣はやめなさいと言っているのです。彼らは選ばれて、政治や外交をやっています。それらは国益が最も優先するのです。




次。


最終回  「内遊外歓」の最後に書いておきたい事 より


 ボクが議員になったのも、発言を続けているのも、ただただひとつの使命感のためである。皇国少年として洗脳され、「兵隊さんになって、天皇陛下のために死ぬんだ」と本気で思っていたボクに訪れた8月15日の敗戦は、信じられない程のショックだった。ひと口に百八十度の価値観の転換というが、今の人には想像がつくまい。昨日まで正しいと教えられて来たものが誤りで、黒と言われて来たものが白になるのである。少くとも11歳の少年にはムリであった。終戦の日から約1年間の時間の記憶は、ボクの72年間の人生の中から完全に抜け落ちている。少年は少年なりに、懸命に適応させようと、考え続けたのであろう。

 ‘47年になって疎開先から帰京した頃には、少年は民主主義を享受していたと思う。平和憲法ほど、ボクの心を躍らせたものはない。「これでもう兵隊になって死ななくても良いんだ」。“敵性”と禁じられていた野球も出来、ジャズも聞ける。国のための個人でなく、世界は個人の集まりで出来ているIIこの価値体系は死ぬまで守って行こう、と決心した。そして多少の紆余曲折はあったものの、この国はそれに添って進んで来た。それが怪しくなって来たのである。ボクが憲法改正に反対なのは、短かい人生の中で、価値観の転換は二度できないからだ。あの大転換、1年の空白を体験した人間は、それを続く世代に伝えてゆく義務がある、という使命感である。



「短かい人生の中で、価値観の転換は二度できないから」という表現。理屈の上でも憲法改正に反対なら、こんな言葉は出てこないはず。つまり巨泉、「理性では憲法改正も理解はできるが感情ではとうてい受けいられない」と言いたいのか?少なくとも、そう取ってしまう人もいるよ。

“軍国少年”が敗戦により蒙った価値観の崩壊(アノミー)がどれほどショックであったかはわからない。まず責めるつもりにはなれない。

しかし一方、団塊Jr世代の場合、
学校の先生に「日本は先の戦争でアジアにとても悪いことをした、そして今でも謝罪も賠償もしていない」みたいな話を何度も聞かされて、
そういう人がネットリテラシーを身に着けてゆく過程で受けた、価値観の転換によるショックも相当なものだったと思う。百八十度か九十度くらいかは人によりけりだろうけど。

そこまで想像力を働かせられるわけないか。

でもまあ、文章読んでみても、巨泉は不勉強っぽいな。
「続く世代に伝えてゆく義務がある、という使命感である。」とか言っても、ぼやきというかつぶやき、あるいは「自分大好き」って感情から来る、「自分史」みたいな話しかできないんだよね。
もっと説得力のあることを言って欲しい。
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